偶然だが、なかなかいいこと書いてる創価アンチサイトを見つけた。
そのサイトではネット学会員の事を「似非活動家」だと指摘しているが、
まさに言い得て妙とはこの事だ。
ネット学会員はネット上でいかにも学会活動をしているかのような、
いかにも活動家であるかのような書き方をしているが、
実際は何も活動などしていないのだ。
まさに「ネットで油を売ってる」のがネット学会員であり、
ネットで怠けているのが実際の所だ。
だから「似非活動家」だと言えるのである。
「似非活動家」の最たるものであろう。
ネット学会員のブログやサイトを見ていて笑えるのがその自信過剰ぶりである。
とにかく、ネット学会員は自信満々なのだが、それが却って滑稽なのである。
ブログに「創価学会は素晴らしい団体だ」と書けば、
多くのネットユーザーがそれを信じて創価に入信してくるかのような自信ぶりなのが笑える。
また、余裕しゃくしゃくな調子であればあるほど却って滑稽でしかないのだが、
当のネット学会員はそんなことにも気づかずに
自信満々なのが笑えるのである。
試しにネット学会員のブログやサイトを見てみるがよい。
この連中のブログ・サイトを見て誰が創価に入りたいと思うだろうか。
特に「創価アンチに仏罰が下って苦しむのが楽しみだ」などとうそぶいている閣下殿のブログを見れば、
誰でも「こんな団体には入りたくない」としか思わないであろう。
「本当の創価学会を知ってください」などと書いてみたところで、
誰も創価に入りたいなどと思うわけがない。
こんな連中がいるような所には入りたくないとしか思わないのではないだろうか。
この連中がブログやサイトで書き散らせば書き散らすだけ、
ますます創価は嫌われていく事だろう。
「本当の創価学会」を知っているらしいのだが、
いつも学会活動もしないで
ネットで暇つぶしをしている身でありながら、
どのようにして「本当の創価学会」を知っているのだろうか?
ネットに引きこもっていても
創価の全てを知ることができるような
超能力でも持っているのだろうか?
それにいくら世間に向かって
「本当の創価学会を知って下さい」と呼びかけたところで、
創価の実態はネットによって世間に知れ渡ってしまってるから、
誰も相手にする者などいないだろう。
それこそ世間の人間の方が「創価学会の本当の実態」をよく知ってるくらいなのだから、
ネット学会員がいくら甘い言葉で創価のイメージを上げようとしても
逆効果にしかならないのではないだろうか。
ネット学会員連が使う得意の言葉の一つに
「アンチが言ってる創価批判は全て嘘八百」というのがある。
アンチ創価ブログなどに書かれてある創価批判記事に対して
ネット学会員連が反論する時の言葉なのだが、
ネット学会員連が言うには「アンチが批判しているようなことは見たことも聞いたこともない」そうなのだが、
「それは単にお前が知らないだけのことだろう」という話なのである。
ネット学会員は自分が知らないものは全て「嘘八百、デタラメ、都市伝説」と言い続けているのだが、
ネットに籠もって学会活動に殆ど参加せず
創価組織からも離れているような者が
創価組織の何を知っているというのか。
聖教新聞など創価の機関紙誌でしか創価の情報を知らないような者が
創価の組織にも活動にも深く関わってきた元活動家が知ってることについて無知なのは当たり前の話だろう。
ネット学会員連がいかに口先ばかりで学会活動をしてこなかったかという証左だと言える。
ネット学会員は「創価学会は素晴らしい宗教団体だ」とか
「創価学会で信心活動すればすごい功徳が現われて皆幸福になれる」
などと広言しているのだが、
創価は素晴らしい団体だ、功徳の実証が顕われる宗教だと言ってる本人たちが
なぜ、創価組織から離れて、
創価の言う「末法時代の修行法」だという学会活動もしないでネットに屯しているのか。
そんなに創価が素晴らしくて功徳溢れる修行法なのなら、
学会活動に邁進すればいいではないか。
ネットで能書きなんぞ垂れてる場合じゃないだろう。
要するに、このネット学会員連は実際には学会活動などしたくないのである。
それどころか、学会活動しても功徳など顕われないということも解っているのである。
だから、創価組織からも活動からも離れているのだ。
しかし、自分を偉く見せたいという自己顕示欲によって、
創価がどれほど正しくてどれほど力のある団体であるかということを強調し、
それによってその創価を信じている(ように見せかけている)自分が
どれほど偉大であるかということを見せびらかしたいわけなのだ。
このネット学会員連の拠って立つ処は
信仰心などというものではなく、
自己顕示欲なのである。
それは裏を返せば、
創価学会という所は、人が好んで寄り付きたい団体ではないということなのだ。
ネット上で創価を賛美称賛しているネット学会員連でも極力寄り付きたくない所、
関わりたくない所、それが創価学会なのだ。
ネット学会員連がそれを証明してしまっているのだ。